はじめに
ヒトの脳では、数十億個の神経細胞が複雑な電気的コミュニケーションを行うことで、さまざまな脳機能が実現されています。こうした神経活動の仕組みを理解し、神経疾患の治療法開発につなげるため、ヒト幹細胞から作製した三次元の脳様組織である脳オルガノイドが研究に用いられています。しかし、個々のオルガノイドは比較的単純であり、神経ネットワークの複雑性には限界があります。
この課題に対して、池内研究室では、マイクロ流体チップを用いて複数のオルガノイドを接続し、それらの間に軸索束を形成させる技術を開発しています。このように接続されたオルガノイドは「connectoid(コネクトイド)」と呼ばれ、より複雑な脳の神経ネットワーク構造を再現することができます。 これらの神経ネットワークにおける神経活動を解析するため、MaxWell Biosystems社の高密度微小電極アレイ(HD-MEA)「MaxOne」を使用しています。この技術により、神経細胞から生じる電気信号を高い空間分解能で記録・刺激することが可能となり、脳様ネットワークにおける神経細胞間のコミュニケーションを詳細に解析することができます。
コネクトイドとHD-MEA技術を組み合わせることで、制御された実験環境において、脳機能の解析、疾患モデルの構築、治療法の評価を行うことが可能になります。国際的かつ学際的な共同研究を通じて、「チップ上の神経ネットワーク(Brain Networks on a Chip)」の実現に向けた研究を推進しています。
展示期間(6月12日~8月12日)
MaxWell Biosystems社との共同プロジェクト「チップ上の脳神経回路網」を、2025年6月12日から8月12日まで、大阪・関西万博2025のスイスパビリオンにて展示しました。展示では、MaxWell Biosystems社のチップ上で培養した実細胞からなる18個のオルガノイドを接続した「コネクトイド」を紹介しました。来場者は、顕微鏡を通してチップ上に配置されたオルガノイドを実際に観察することができ、隣に設置された小型ディスプレイには、これらの神経ネットワークから記録された電気信号がリアルタイムで可視化されました。さらに、チップ上で接続されたオルガノイドを大型化して再現した模型も展示しました。各オルガノイドの内部にはLEDが組み込まれており、神経ネットワークの電気活動に合わせて点灯することで、生きた脳様ネットワークがどのように情報を伝達しているのかを、直感的かつインタラクティブに体験できる展示となりました。
スイスパビリオンでの展示の様子
トークイベント(8月4日)
8月4日、スイスパビリオンにて「ペトリ皿からプロセッサへ:次世代コンピューティングの可能性を探る」を開催しました。本イベントには、スイスと日本から各分野を代表する研究者・専門家が集まり、生体外で培養された生きた神経細胞からなる神経ネットワークが、脳研究をどのように変革し、新たな形のバイオコンピューティングにつながる可能性があるのかについて議論しました。イベントでは、組織工学と微小電極アレイ(MEA)技術の進展に焦点を当て、これらの技術を組み合わせることで、神経ネットワークの構築、神経活動の計測・モニタリング、さらにはその操作が可能になることを紹介しました。また、2つのパネルディスカッションを通じて、こうした神経システムが持つ科学的・技術的な可能性と、学際的・国際的な連携の重要性について議論しました。第1部のパネルディスカッションでは、生体外で培養した神経細胞を用いることで脳機能への理解をどのように深められるか、また、そこから新たなコンピューティングモデルがどのように生まれる可能性があるかについて議論しました。第2部では、神経科学、工学、データサイエンスを融合したスイス・日本間の共同研究に焦点を当て、この新興分野におけるイノベーションを推進するための国際連携について紹介しました。本イベントを通じて、生物学とコンピューティングが融合する未来を展望し、医療、研究、テクノロジーに広がる新たな可能性を紹介しました。
スイスパビリオンでのイベントの様子